院内会派は百年史による
初期の帝国議会は政党の存在を認めていなかったため、正確なデータは存在しない
公式な会派記録としては他に衆議院議員党籍録があるが百年史とは異同がある
◆会派勢力@百年史
                         01開 01終 02開 02解 
001. 大成会                85   75   46   46 
002. 弥生倶楽部           131   86   90   92 
003. 議員集会所            43   42   43   43 
004. 国民自由党            --    5   --   -- 
005. 自由倶楽部            --   33   33   33 
006. 協同倶楽部            --   **   --   -- 
007. 巴倶楽部              --   --   17   17 
008. 東北同盟会            --   --    5    5 
009. 独立倶楽部            --   --   20   20 
---. 無所属                41   55   45   44 
------------------------------------------------------------------------------------------
欠員                       --    4    1   -- 
合計                      300  300  300  300 

01: 1890(m23)/11/29~1891(m24)/03/07
02: 1891(m24)/11/26~1891(m24)/12/25


★001. 大成会
**1890(m23)/08/21~解散時~1891(m24)/12/26解散
選挙後に非政党系議員が結成した院内会派
比較的政府寄りだが様々な立場の議員が集まっていた
協同倶楽部の結成などの内紛を経て次第に勢力を失い、衆議院解散後に会派も解散した
吏党系議員は次回選挙後に新たに「中央交渉部」を結成した

★002. 弥生倶楽部
**1890(m23)/08/28~解散時~選挙後も継続
自由党系議員が結成した院内会派
立憲自由党は1891/30/20に自由党へと党名を変更した

★003. 議員集会所
**1890(m23)/08/30~解散時~選挙後も継続
改進党系議員が結成した院内会派

★004. 国民自由党
**1890(m23)/12/18~1891(m24)/09/12解散
立憲自由党結党時の内紛から山際七司ら国権派が離脱して結成した
支持が広がらず1年経たずに解散した

★005. 自由倶楽部
**1891(m24)/02/25~解散時~12/27解散
政府の予算案に対し造反賛成した立憲自由党の土佐派が離党して結成
しかし立憲自由党が党内改革を行い板垣退助を総理に迎えたことで求心力が低下
衆議院解散後に解散し、大勢は自由党に復帰した

★006. 協同倶楽部
**1891(m24)/03/06~11/19解散
国権派議員の大成会入会を巡る対立から入会賛成派が国権派無所属議員らと共に結成した院内会派
大成会からの参加者は会派を離脱せず両属状態にあった(両属派)
しかし大成会専属派との対立もあり離脱する者が続出し、最終的に解散した

★007. 巴倶楽部
**1891(m24)/11/中~解散時~消滅
大成会両属派が協同倶楽部を離脱し始めたことで、対立していた専属派の一部が独立して結成した院内会派
自由党系議員も加わり、民党寄りの立場を採った
衆議院解散と共に消滅した

★008. 東北同盟会
**1891(m24)/11/--~解散時~消滅
大成会や自由党を離脱した議員のうち東北地方関係者で結成
衆議院解散と共に消滅した
衆議院議員党籍録には記載が無い

★009. 独立倶楽部
**1891(m24)/11/24~解散時~消滅~選挙後に再興
大成会が政府寄りの立場を強めるのに反発した議員が自由系議員も加え結成した院内会派
衆議院解散とともに消滅した
一部の議員は次回総選挙後に同名会派を再興した