しんしんいしかわ

1998/01/--~2016/12/31解散 *政治団体
1998/01/--~2015/07/17解消 *県議会会派(新進石川議員会)

[政党・会派] [政党・会派一覧(一括版)]
★概要 1997末の新進党解党に伴い、新進党石川県連がほぼそのまま移行した保守系の地方政党。 新進党解散時の県選出国会議員は自由党に参加した一川保夫のみだったが、県内には太陽党に参加していた奥田敬和の支持者が多く、非自民保守勢力の分裂を避けるために新進党県連を地方政党の新進石川へと衣替えした。 県議会会派としては新進党解党前から新進党石川の略称として新進石川を使用していたが、解党後は会派名を新進石川議員会へと変更した上で引き続き略称として新進石川を使用した。会派の分裂を回避したことで自民に次ぐ第2会派を維持しており、県内では大きな影響力を持った。 まもなく奥田は民主党(1998)の結党に参加したが、石川県の民主党は社会党系が強かったため保守系の反発が強く、また一川が自由党に所属していたこともあり、新進石川は民主党に合流せずに存続した。 民主党への合流は拒否したものの非自民非共産の立場から民主に近い立場を採っており、1998参院選では民主らと野党統一候補を擁立している。 しかし参院選直後に奥田が亡くなると後継者を巡って民主党石川や連合石川と対立。衆議院補選では最終的に奥田の息子の建が民主党公認で出馬して当選したが、前回総選挙で奥田敬和に敗れて比例復活当選していた桑原豊(社会系民主党議員)の処遇を巡って補選後も対立が続いた。 このため1998末に民主党石川が民社系や保守系を統合して新たな民主党県組織を発足させた際にも、奥田系の大半は新進石川に残って地方政党を存続させた。 1998秋に国政で自自連立が成立すると、県内でも保守連携の動きが起こるが、奥田建が民主党所属であることに加え、過去の奥田と森喜朗(自民)との確執の歴史から、民主寄りの立場を継続した。また一川は自由党議員だったが、自民の森喜朗と同じ選挙区であることから民主党との関係を維持しており、新進石川には大きな分裂は起きなかった。 1999県議選では地域政党として独自の公認候補を擁立して現有6議席を維持。選挙前から引き続いて自民に次ぐ第2会派の座を得ると、自民と共に谷本県知事与党の中核を構成した。 また選挙後には金沢市議会の新生議員会と共に政治団体「21金沢市民会議」を結成し、県内での旧新進勢力の協力関係を強化した。新生議員会は新進石川同様に金沢市議会の新進党がほぼそのまま移行した会派で、その後も、新生ひびき議員会→かなざわ議員会→会派市民、へと発展しながら、新進石川との関係を継続している。 2000春に森喜朗が首相に就任すると、自民は新進石川に接近して2000総選挙での協力を要請。森首相が県選出議員であることから協力に賛成する意見も強く、奥田の無所属出馬による選挙協力を模索したが、奥田が拒否したことや森首相の失言問題などで、最終的に民主支援に回った。 しかし2000総選挙では県内3選挙区に加えて同時に行われた参院補選の4つの選挙全てで非自民候補が敗北。このため自民との保守連携を求める声が強まり、新進石川の県議会会派からの脱落者は無かったものの、金沢市議会の新生ひびきからは離脱者が相次ぎ、2001年には第1会派の座を失っている。 2001参院選では、新進石川が民主党から離反する動きを抑えるために、民主党側から新進石川に対して候補の擁立が要請されたが、国政での小泉ブームもあって内部に消極論が強かったためこれには乗らず、最終的に民主が擁立した候補を支援したが、一致結束できないまま、参院選では民主系候補が大敗を喫した。 この選挙では金沢市の新生ひびき内から自民支持に回る者が現れ、2002県議補選では民主党が不戦敗だったとはいえ会派として自民候補を推薦しており、新生ひびきの民主離れが顕著になった。 2003県議選では現有7議席を確保して第2会派の座を維持。秋に行われた2003総選挙では、県議選での見返りとして全選挙区で民主党を支援したが、奥田のみの当選に終わっている。 2004参院選では民主の候補者選びが難航する間に自民支援を決定。民主候補が決定した後も自民支援は覆らず、選挙では自民が圧勝している。2005総選挙でも、以前から支援していた奥田と一川は支援したが、3区では民主候補を支援せず自主投票。選挙では自民が全勝した。 自民への接近が続く一方で、自民が2003県議選時に約束していたといわれている新進石川へ県議会議長ポストの譲渡をなかなか行わなかったため、自民への不満が高まった。 2007県議選では7議席(現6新1)を得たものの、選挙後には連合石川主導で民主と社民の統一会派が結成されたことで第2会派の座が脅かされた。一方で自民との協力関係は選挙後に正式に解消されており、全国的な民主党ブームと合わせて存在感が低下した新進石川は存亡の危機を迎えた。このため再び民主との連携を強化し、2007参院選では民主を支援。選挙後には民主からの要請を受け入れ、民主への合流を議員総会で正式に決定した。 秋に小沢一郎が民主党の代表辞任を表明したことで、いったんは合流を保留したが、小沢の党代表続投を受け再転換。しかし即時合流はせず、次回総選挙前後まで党を存続させ、その間に親民主系無所属議員を取り込み勢力を拡大することで、社会系が強い民主党県連に対して有利な形での党合流を狙っていた。 2009総選挙で民主党が大勝すると、合流協議は再開され、11月に会派所属8議員が民主党へと入党した。 県議が民主党に入党した後も県議会会派は存続していたが、連合石川系会派の"清風・連帯"とは時期を見て合流する予定だった。しかし民主党政権が迷走すると、民主党入党を後悔する者が増え、2011県議選では一部の議員から民主党公認を拒否する動きが起きた結果、最終的に1名が新進石川公認で出馬している。 選挙後には民主公認議員も含む新進石川系8議員が民主系会派の統一を拒否して新進石川の会派を再結成したため、"清風・連帯"との民主系会派統一はならなかった。金沢市議会でも2010年に民主会派が旧新生系と民主系に分裂しており、この時期には県内の民主党は内紛状態となっていた。 それでも民主党政権の間は党の分裂は抑えられていたが、2012総選挙後には、会長の宇野邦夫の会派運営手法への不満や総選挙で宇野が奥田の選挙応援に消極的だったことから、宇野を除く全員が会派離脱を表明。宇野は一人で新進石川会派を継続させたが、まもなく民主党を離党。離脱議員のうち6名は他1名と共に県政石川議員会を結成、残る1名は一人会派の改新を結成している。 2013参院選では宇野は自民候補を支持。県政石川は民主候補を支援したが、選挙での惨敗で民主党離党者が相次ぎ、2014春には民主党所属県議は改新の新谷博範のみとなった。新谷はまもなく新進石川の会派に復帰したが、秋の金沢市長選で自民系候補を支援したことで民主党を除名され、県内の民主党所属県議は0となった。 2015県議選では新谷は引退したが宇野が新進石川公認で当選し、選挙後には宇野が一人会派の新進石川を再結成。しかし宇野は選挙直後に関係者が選挙違反で逮捕されたことで議員辞職に追い込まれ、県議会としての新進石川は消滅した。 その後も政治団体としては新谷を代表として存続していたが、2016年末に正式に解党した。
★県議選と県議会会派 1998/01/--: 会派名を「新進党石川」から「新進石川議員会」へと変更 当/候: 1999県議選: 6/ 8: 会派6、*現有6を維持して第2会派へ 2003県議選: 7/ 7: 会派8、*無所属1名が加入 2007県議選: 6/ 6: 会派7、*無所属1名が加入 2011県議選: 1/ 1: 会派8、*民主公認の当選者も加入 2012/12/25: *大量離脱で1人会派となる 2014/03/--: *民主党離党者1名が復帰 2015県議選: 1/ 1: 会派1 2015/07/17: *宇野の議員辞職で議席を失う