しゃかいみんしゅれんごう Socialist Democratic Federation (社民連) 1978/01/23~1994/05/22
[政党・会派] [政党・会派一覧(一括版)]
*結党大会は1978/03/26だが、書類上は1月に結成されている★概要 1978年に社会市民連合と社会クラブが合同して結成された革新政党。 社市連と社会クは共に社会党離党者が中心となって結成されていたが、両者とも支持が伸び悩んでいた。 このため両者は早くから党合併に動いていたが、社会クは社市連の反政党色を嫌っており、自身の勢力を拡大してからの合同を目指すとしていた。しかし社会クの勢力は伸びず、一方で解散風が吹き始めたため早期の新党結成へと転換。 1978初に新党準備会を結成して事実上の結党を果たし、春に正式に結党した。 社会党系の改革勢力の結集を目指しており、結党時にも社会党離党者の参加を期待していたが、国会議員では阿部昭吾が加わっただけで、結党時の国会議員は6名に留まった。また地方でも阿部の地元の山形など一部を除いてはほとんど組織が無い状態でのスタートとなった。 議員個人の人気に頼った事実上のミニ政党だったため、野党結集を志向し、その接着剤を自認していた。 自民に対抗する勢力を結集するために、野党第1党の社会党のリーダーシップを期待していたが、社会党の自己改革に絶望して離党した元党員も多く参加しているため、社会党に外部から圧力を掛けるために中道勢力との連携を強めた。 このため院内で社会党に匹敵する勢力を作るとして、再三、公民ク連での中道統一会派を訴えていたが、新自クが消極的で、公明と民社の足並みも揃わず、最後まで実現しなかった。 初の国政選挙となった1979総選挙では、個人的に人気がある現職2名しか当選できず、江田三郎の未亡人も大敗。 1980衆参W選挙では、衆議院で菅直人が初当選したが、参議院では唯一の候補だった秦が全国区最下位で当選したものの、開票日当日に当選圏内の候補が死去しなければ次点で落選だった。 選挙後には民社と統一会派結成で合意したが、菅ら党内市民派が強く反対したため断念に追い込まれた。 その後も民社からは何度も統一会派結成の申し入れがあったが、党内の反対派に配慮したため、中道4党統一会派で無いことを理由に断り続け、中道結集路線を自ら放棄した。 しかし小勢力では国会活動もままならないため同じく小勢力の新自クとの連携に動き、1981年には統一会派を結成。 1983参院選での統一政治団体結成でも合意したが、この過程で社公民路線派の秦が離党。 また党内市民派もこれに批判的で、田代表を都知事選に出馬させて執行部を再編しようとする動きを起こしている。 1983参院選では新自クと合同で「新自由クラブ民主連合」として臨んだが、比例区での当選は1名に留まった。 この結果、新自ク内からは社民連との協力解消の動きが起き、社民連でも菅副代表が統一会派解消を求めて辞表を提出するなどの混乱があったことから、最終的に新自クとの協力を解消した。 ただし1議席しかない参議院では、院内会派の名称として新政クラブを使用することで統一会派を継続している。 その後は再び民社との連携へと転換し、統一会派結成で合意したが、またしても菅らが強く抵抗したため一旦保留となり、まもなく1983総選挙で楢崎幹事長が落選したことで反対派が巻き返し、統一会派結成は白紙に戻された。 一方で江田と菅が社会党と個別に取引して2人だけが院内に好ポストを得たため党は分裂状態となった。この結果、党費徴収や党機関紙発行などが停止され、党は機能不全に陥った。このため党に絶望した楢崎は福岡市長選出馬を理由に離党。落選後には政界引退を表明している。 楢崎の政界引退表明後、党は楢崎を慰留すると共に党の再建を行うために運営委員会を開催し、党を存続させて今後も社民和解を目指すことを決定。再生大会となった1985党大会では執行部を一新し、江田代表と阿部書記長の妥協的な体制で再出発を図った。この際に楢崎も復党している。 1986総選挙では楢崎が返り咲いたことで国会議員5名となり政党要件を回復。 選挙後には、再び民社から統一会派を申し込まれたのに対し、社会を含めた3党統一会派を逆提案するが、社会の反対で実現できずに統一会派を断念。しかし、このままでは委員会の理事ポストを失う民社が再度強く統一会派を働きかけてきたため、社会・民社の橋渡しのためとして両党の会派に2名ずつ所属させることで民社の顔を立てた。 股裂き会派には党の主体性を失うとの批判もあったが、各議員は両会派から厚遇され、社会が土井委員長の下で党改革と社民和解を進めていたこともあり、両党との統一会派は継続された。 しかし統一会派を組むに当たっての政策協定は無いに等しく、社会・民社両党が対立すると仲介できずに埋没した。 当初は社会・民社両党が対立した場合には採決を棄権することで両党に配慮していたが、消費税問題では社会と同調するなど、次第に社会側へと傾斜。1989参院選では田が社会の推薦を受けて再選され、選挙後には社会会派に入会している。 1990総選挙後には再び民社から統一会派が呼び掛けられたが、これを拒否して進歩党と統一会派を結成。 一方で社会との関係は強化され、野党内で対応が分かれたPKO法案でも社会に同調している。このため社会への合流も囁かれるようになったが、これに批判的な党員も少なくなく、1991東京都知事選では党の支持が3候補に分かれるなど、党の分裂が進んだ。 1992参院選では初めて比例区に候補を擁立。名簿1位にサラリーマン新党の青木代表を据えたが当選0に終わった。 東京選挙区では、田が党推薦候補ではなく対立候補を応援するために、一時は離党届を提出する騒ぎも起きている。 選挙後は衆参で社会と統一会派を結成。また江田と菅が社会党若手議員らと政策集団シリウスを結成し、社会寄りの立場を鮮明にした。しかし1993総選挙で社会が惨敗したことでシリウスは活動停止。 総選挙後は非自民の細川連立内閣に参加したが、社会が大きく勢力を失った上に、党の目的だった非自民政権樹立が達成されたことで求心力を完全に失った。 選挙後、5議員は党に所属しつつも独自に活動。党としては社会党との統一会派継続を決定していたが、菅は離党届を提出して院内会派のさきがけ日本新党に参加。後に離党届は撤回したが完全に別行動を採った。 田は政治改革法案で造反して社会会派を除名され、社会党内の同調者と共に護憲グループを結成。残る3名は共に細川政権支持派ながら社会党への対応が分かれ、江田と阿部が政権優先で社会党の一部のみとの連携を重視していたのに対し、楢崎は社会党全体を含む連立各党派の協調を重視した。 既に党としての実態を失っており、1994年には日本新党に吸収されて解党した。 解党時の5議員のうち日本新党に移籍したのは江田と阿部の2名のみで、他の3名は独自の道を歩んだ。 菅はさきがけへと入党し、田は護憲リベラルを結成。他の政党に所属しなかった楢崎は地元の社民連組織を存続させ、院内で一人会派「福岡県社会民主連合」を結成している。★役員 代表 副代表 副代表 副代表 書記長 ------------------------------------------------------------------------------------------------- 1978/01/22: 田 英夫 江田 五月 大柴 滋夫 ----------- 楢崎 弥之助 # 結成準備会 1978/03/26: 田 英夫 江田 五月 大柴 滋夫 菅 直人 楢崎 弥之助 # 結成大会 1980/01/16: 田 英夫 江田 五月 大柴 滋夫 菅 直人 楢崎 弥之助 # 初の党大会 1980/11/16: 田 英夫 江田 五月 大柴 滋夫 菅 直人 楢崎 弥之助 # 第2回党大会 1983/01/23: 田 英夫 江田 五月 大柴 滋夫 菅 直人 楢崎 弥之助 # 第3回党大会 1984/05/29: *空席 # 楢崎が辞職&離党 1984/--/--: (阿部 昭吾) # 阿部は代行 1985/02/10: 江田 五月 ----------- ----------- ----------- 阿部 昭吾 # 第4回党大会 1989/03/25: 江田 五月 ----------- ----------- ----------- 阿部 昭吾 # 第5回党大会 -------------------------------------------------------------------------------------------------★選挙 1979衆: 2/ 7: 368660 0.68% # 1980衆: 3/ 5: 402832 0.68% # 1983衆: 3/ 4: 381045 0.67% # 1986衆: 4/ 5: 499670.500 0.83% # 1990衆: 4/ 6: 566957.382 0.86% # 1993衆: 4/ 4: 461169 0.73% # 1980参: 1/ 1: 627272.731 1.12% # 全国区のみ 1983参: *なし、自ク連として候補擁立 1986参: *なし 1989参: *なし、田がいったん離党して無所属出馬=社会党 と共同推薦 1992参: 0/ 9: 671594 1.49% # 比例区のみ *新自由クラブ民主連合 1983参: 2/10: 1239169 2.66% # 比例区得票、社民連は比例で当1、他の当1は新自ク系★候補者 ◇衆議院 79 80 83 86 90 93 東出 忠泰 京都02 × # 阿部 昭吾 山形02 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ # 解党後は日本新党へ 大柴 滋夫 東京02 × # 安東 仁兵衛 東京04 × # 菅 直人 東京07 × ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ # 解党後は新党さきがけへ 田上 等 神奈01 × × # 江田 光子 岡山02 × # 楢崎 弥之助 福岡01 ◎ ◎ × ◎ ◎ ◎ # 解党後は無所属、会派としては社会会派に残留 瀬津 一男 滋賀全 × # 江田 五月 岡山01 ◎ ◎ ◎ ◎ # 解党後は日本新党へ 岩附 茂 東京04 × × # 石井 紘基 東京03 × # ◇参議院 80 83 86 89 92 秦 豊 全国 ◎ # 田 英夫 比例 ◎ M # 解党後は護憲リベラルの会を結成 西風 勲 比例 × × # 比例08/比例02 工藤 良平 比例 × # 比例09 長谷川 保 比例 × # 比例10 青木 茂 比例 × # 比例01、サラ新 西川 美紀 比例 × # 比例03 渡辺 文学 比例 × # 比例04 稲津 千佳子 比例 × # 比例05 海野 隆 比例 × # 比例06 奥田 邦夫 比例 × # 比例07 三村 さよ子 比例 × # 比例08 江田 洋一 比例 × # 比例09 *1983参は自ク連として候補擁立★国会議員 結成前 結 79衆 80衆 80参 83参 83衆 86衆 86参 89参 90衆 92参 93衆 |解 ----------------------------------------------------------------------------------------------- 大柴 滋夫 衆 社市連 ◎ 落 --------------------------------------------------|--- 楢崎 弥之助 衆 社会ク ◎ ◎ ◎ 落 ◎ ◎ ◎ |◎ 阿部 昭吾 衆 社会 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ |◎ 菅 直人 衆 社市連 ---- 落 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ |◎ 江田 五月 衆 * ------------------------ ◎ ◎ ◎ ◎ |◎ ----------------------------------------------------------------------------------------------- 江田 五月 参 社市連 ◎ 引退 衆へ ------------------------------|--- 田 英夫 参 社会ク ◎ ◎ ◎ |◎ 秦 豊 参 社会ク ◎ ◎ 離党 -------------------------------------|--- ----------------------------------------------------------------------------------------------- *楢崎は1983総選挙で落選後に福岡市長出馬のため離党、落選後に復党した *江田は1983参不出馬の後で衆議院に鞍替え★院内会派 衆 参 1978/01/20: 3 -- # 衆議院で会派結成 1978/01/24: 3 # 参議院会派の無所属クラブを社会民主連合へと改称、この際に非党員の前島英三郎が離脱 1979/09/07: # *衆議院解散 1979/10/07: ** ** # *総選挙 1979/10/16: 2 # 衆議院で会派再結成 1979/12/20: 参 # 参議院会派解散、参議院クラブの結成に参加 1980/05/19: # *衆議院解散 1980/06/22: ** ** # *衆参W選挙 1980/06/30: 3 # 衆議院で会派再結成 1980/07/08: 新 # 参議院会派の参議院クラブが解散、新政クラブの結成に参加 1981/09/21: ク # 衆議院会派解散、新自由クラブ・民主連合の結成に参加 1982/12/20: # 秦豊が参議院会派を離脱 1983/06/02: ク # 参議院会派の新政クラブが新自由クラブ民主連合へと改称 1983/06/26: ** ** # *参院選 1983/07/09: -- # 参議院会派の新自由クラブ民主連合が解消 1983/07/11: ク # 参議院会派で新自由クラブ民主連合を再結成 1983/09/06: 3 新 # 衆議院会派の自ク連が解散し独自会派結成、参議院会派の自ク連は新政クラブへと改称 1983/11/28: # *衆議院解散 1983/12/18: ** ** # *総選挙 1983/12/20: 3 # 衆議院で会派再結成 1986/06/02: # *衆議院解散 1986/07/06: ** ** # *衆参W選挙 1986/07/21: 4 # 衆議院で会派再結成 1986/07/22: * # 衆議院会派解散、2名ずつが日本社会党・護憲共同と民社党・民主連合に分かれて移籍 1988/01/11: # 参議院会派の新政クラブが新政クラブ・税金党へと改称 1989/07/09: -- # 田の任期満了により参議院議員が一時的にいなくなる 1989/07/23: ** ** # *参院選 1989/08/10: 社 # 田が参議院会派の日本社会党・護憲共同に入会 1990/01/24: # *衆議院解散 1990/02/18: ** ** # *総選挙 1990/02/23: 4 # 衆議院で会派再結成 1990/02/26: 進 # 衆議院会派を進歩民主連合へと改称=進歩党と統一会派 1992/07/26: ** ** # *参院選 1992/10/29: 社 # 衆議院会派解散、日本社会党・護憲民主連合へ入会 1993/06/18: # *衆議院解散 1993/07/18: ** ** # *総選挙 1993/08/02: * # 衆議院で菅を除く3名は日本社会党・護憲民主連合へ入会、菅はさきがけ日本新党に入会 1994/01/31: * # 衆議院で江田と阿部がさきがけ日本新党へと移籍 1994/02/03: 無 # 田が参議院の社会党会派から除名 1994/02/28: リ # 田が参議院会派の護憲リベラルの会を結成 1994/04/08: * # 衆議院で江田と阿部が改革の結成に参加 1994/04/22: * # 衆議院会派のさきがけ日本新党が新党さきがけへと改称★年表 1978/01/22: 社会民主連合結成準備会を開催、事実上の結党 1978/01/23: 自治省に届出 1978/03/26: 結党大会 1979/01/14: 全国代表者会議 1979/10/07: 総選挙、当選2、大柴が落選 1979/12/20: 参議院で「参議院クラブ」の結成に参加 1980/01/16: 第1回党大会 1980/06/22: 衆参W選挙、衆3参1が当選 1980/07/08: 参議院で「新政クラブ」の結成に参加 1980/11/16: 第2回党大会 1981/09/21: 衆議院で新自クと統一会派「新自由クラブ・民主連合」を結成 1982/11/30: 秦豊が離党=中道路線に反発 1983/01/23: 第3回党大会 1983/06/02: 参議院で新政クラブが「新自由クラブ民主連合」と改称 1983/06/26: 参院選、新自クとの統一団体「新自由クラブ民主連合」、当2(うち連1) 1983/09/30: 衆参で新自クとの統一会派解消、ただし参議院では新政クラブの名前で存続 1983/12/18: 総選挙、当3、楢崎が落選 1984/05/29: 楢崎が離党=福岡市長選出馬 1984/09/09: 福岡市長選、楢崎は落選 1985/02/09: 第4回党大会、江田が代表に就任、楢崎が復党 1986/07/06: 衆参W選挙、衆4が当選、参議院では候補を擁立せず 1986/07/22: 衆議院で社会・民社両党会派に2名ずつ所属 1989/03/25: 第5回党大会 1989/07/04: 田が離党=参院選に社会推薦で出馬するため、選挙後に復党 1989/07/23: 参院選、公認候補は擁立しなかったが田が社・連共同推薦の無所属で当選=復党 1989/08/10: 参議院で田が社会党会派に入会 1990/02/18: 総選挙、当選4 1990/02/26: 衆議院で進歩党と統一会派結成 1992/06/15: PKO法案反対で社会に同調して全衆議院議員が議員辞表届提出=後に撤回 1992/07/26: 参院選、当0 1992/10/29: 衆議院で進歩党との統一会派を解消して社会党と統一会派を結成 1993/07/18: 総選挙、当選4 1993/08/02: 衆議院で社会党と統一会派結成=菅はさきがけ日本新党に参加 1993/08/09: 細川内閣発足、江田が科学技術庁長官として入閣 1994/01/24: 田が離党=政治改革法案で造反&解党が事実上決定したため 1994/01/31: 衆議院で江田と阿部がさきがけ日本新党へと移籍、菅が離党して新党さきがけに入党 1994/02/03: 田が参議院の社会党会派から除名 1994/02/28: 田が参議院会派の護憲リベラルの会を結成 1994/04/08: 衆議院で江田と阿部が院内会派の改革の結成に参加 1994/05/22: 全国代表者会議で解党と日本新党への合流を承認
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