しゃかいとうしがけんほんぶ
1976/01/18~1978/--/--

[政党・会派] [政党・会派一覧(記事リスト)]
★概要 日本社会党を離党した(除名された)滋賀県の党員が1976年に結成した地方政党。 社会党滋賀県本部は、1975滋賀県知事選で革新統一候補として武村正義の推薦を決定した。しかし、この決定が左派主導で行われたことを不満とする右派の後藤俊男(元衆議院議員・県委員長)ら党県三役4名は、武村は自民党とも関係が深いため「革新性」に問題があるとして、武村との調印直前になって推薦を撤回し、高橋勉(県書記長)の擁立を発表した。党県三役はこの混乱の責任を取って総辞職するとしたが、県の臨時党大会は左派主導で武村擁立を確認すると共に三役全員の除名を行った。このため高橋は出馬辞退に追い込まれ、選挙では武村が自民党推薦で現職の野崎県知事を破って当選している。 選挙後には上田建設から(元)三役らへ多額の献金が行われていたことが発覚し、後藤らによる高橋の擁立は、上田建設社長の依頼を受けて行われた野党分断工作だったのではないかとの疑惑が囁かれた。このため元三役らが党本部に訴えていた除名への異議申し立ては却下され、過去に献金を受けた者も次々と除名されていった。しかし左派系党員が疑惑に名が上がっても事実無根として不問とされたり、金を受け取っていなくとも元三役らを支持した者は除名されるなど、右派系党員には左派系執行部に対する不満が高まっていった。 このため、除名/離党者は左派支配の党県本部を批判して県社会党の正当性を訴え、マルクス・レーニン主義に反対する地方政党として「社会党滋賀県本部」を結成した。 数百人規模の党員が参加したものの、1976総選挙では公認候補の高橋勉が前回総選挙で得た票の1割程度しか得票できずに惨敗。一方で社会党候補は前回の2名共倒れから1名に絞ったこともあり、議席を回復するだけでなく上位当選を果たしている。 1978年に社民連の結成に参加して解党した。
★役員
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委員長:  大和 繁
副委員長: 山極 秋男
副委員長: 高橋 勉
書記長:  入江 忠和
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*社会党を除名された三役は以下の4名
  委員長:  後藤 俊男
  書記長:  高橋 勉
  副委員長: 山本 秋造
  副委員長: 大原 伴五
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★選挙
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1976衆:  0/ 1 : *滋賀全(高橋勉)
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