[政党・会派] [政党・会派一覧(一括版)]
★概要
1994年に日本新党を離党した議員が結成した衆議院の院内会派。
日本新党は新党さきがけとの合同による新党結成を前提として衆議院で統一会派を結成していたが、細川党代表/首相は次第に新生党へと傾倒したため、党内は新生党連携派とさきがけ連携派の対立が深まっていた。
これに対して細川代表は1994春の党役員改選でさきがけ連携派を更迭し、党の見解として"さきがけ"との党合同の合意文書が存在しないとして事実上の白紙撤回を発表。
さらに細川は、首相辞任表明直後に与党統一会派の結成を標榜して統一会派からの離脱を表明するが、事前の根回しが無い突然の新会派結成には反対する議員が多く、党所属の衆議院議員38人中15人が新会派結成への署名を拒否したが、細川は党代表一任を取り付けて新会派「改革」の結成を強行。さらに参加拒否者には離党勧告を行った。
「改革」の結成が社会党など連立グループ内からも強い反発を浴びたこともあり、中島章夫ら反執行部派は与党統一会派構想の撤回と党内民主化を求める党内グループ結成して執行部に圧力を掛けたが、民社党が日本新党とさきがけとの統一会派構想を表明したことから、中島の行動に疑念を持つ者が現れ、反対運動は沈静化。
一方で、執行部は「改革」への参加呼びかけは中止したものの統一会派構想の撤回は行わず、さきがけとの関係修復も拒否していたため、これを不服とする中島ら3名は離党して新会派「グループ青雲」を結成した。
日本新党の結党の理念を継承する立場を採っており、新生党よりもさきがけや与野党のリベラル派との連携を重視した。小沢一郎の政治手法には批判的だったため、新生党党首の羽田孜を首相とすることには反対しており、首班指名選挙では白票を投じたことで、野党の立場を明確にした。
まもなく、さきがけと統一会派「新党さきがけ・青雲」を結成したため会派を解散。その後、民主の風も統一会派に加わり、最終的に両派の全員がさきがけに入党したことでグループとしても消滅した。
★国会議員
中島 章夫 神奈03 # 会派代表
五十嵐 ふみひこ 埼玉02 #
小沢 鋭仁 山梨全 #
★会派
1994/04/20: 3: 会派結成
1994/05/09: --: 会派解散
1994/05/31: --: 「さきがけ・青雲・民主の風」
1994/07/05: --: 「新党さきがけ」 *全員がさきがけに入党
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