みんしゅのかぜ

1994/05/20~1994/05/31 *衆議院会派

[政党・会派] [政党・会派一覧(一括版)]
★概要 1994年に日本新党を離党した議員が結成した衆議院の院内会派。 日本新党は1993総選挙時にさきがけとの党合同を決めていたが、細川代表/首相は次第に新生党寄りの立場へと転換したため、党内に大きな亀裂が生まれた。 しかし細川は党内融和路線を採らず、1994春の役員改選では親さきがけ派役員を更迭。首相退陣表明直後には与党統一会派の結成を標榜して新会派「改革」の結成を強行し、これを批判した中島章夫ら3名が離党に踏み切ったが、党執行部は与党統一会派の方針を変更すること無く、羽田孜が首班指名を受けた直後には新生・民社などを取り込んで統一会派「改新」を結成し、社会党を連立離脱へと追い込んだ。 この問題では日本新党の議員総会でも「改新」の白紙撤回を要求する意見が多数を占めたものの、執行部が全く取り合わなかったため、前原誠司らは執行部に対して反省と党内民主化を要求したが、何も改善されないまま、任期切れとなる細川の代表再選も幹部の話し合いで決められてしまった。 このため前原ら4名は日本新党を離党して衆議院に院内会派「民主の風」を結成した。 元々「民主の風」の名称は、新党さきがけ・グループ青雲と日本新党離党者による統一会派の名称として予定されていたが、前原らは新党みらいや社会党内の改革派らの他勢力にも非自民反新生の連携を呼びかけるために、この名称の独立会派を結成した。 しかし、新党みらいは統一会派に消極的で、社会党の山花グループも新生党に近かったため、結局はさきがけ・青雲のみとで統一会派「さきがけ・青雲・民主の風」を結成。羽田内閣総辞職後の首班指名選挙では、自社さ政権への協力を表明して全員がさきがけと共に村山富市社会党委員長に投票し、まもなく全員がさきがけに入党したことで民主の風は消滅した 同時に青雲も全員がさきがけに入党したため、衆議院会派名も「新党さきがけ」へと変更されている。
★国会議員 荒井 聡 北海01 # 代表 枝野 幸男 埼玉05 # 前原 誠司 京都01 # 高見 裕一 兵庫01 #
★衆議院会派 1994/05/20: 4: 会派結成 1994/05/31: --: 会派解散 1994/05/31: --: 「さきがけ・青雲・民主の風」 1994/07/05: --: 「新党さきがけ」 *全員がさきがけに入党