[政党・会派] [政党・会派一覧(記事リスト)]
★概要
1994/04に日本新党が衆議院で結成した院内会派。
同年秋に結成された同名の衆議院会派とは別の会派。
1993総選挙後に日本新党の細川護熙代表を首班とする非自民非共産連立政権が樹立された際、与党内には衆議院で第1会派の座を自民党から奪うために連立勢力での統一会派結成を求める声が出ていたが、統一会派=新党結成を警戒する声も強く、日本新党も穏健な多党制を主張して二大政党制には否定的だったため、将来的な党合同で合意していた新党さきがけと2党のみで衆議院で統一会派「さきがけ日本新党」を結成した。
しかし、連立政権が当初から迷走したため、政権安定を求める細川首相は次第に新生党/小沢一郎へと傾倒。さきがけが新生党と対立していたことから、武村官房長官(さきがけ代表)の更迭を図ったり、さきがけや社会党が反対していた与党統一会派結成を提唱したりと、いずれも失敗に終わったが露骨なさきがけ外しに動いた。
1994/03の党役員改選では細川の変心を批判する党内の声を封じ込めるために親さきがけ系役員を更迭。直後にはさきがけとの党合同の合意を正式に破棄し、さきがけに対して統一会派の役員ポストの明け渡しを求めるなど敵対的な態度を採り、4月に細川が首相辞任を表明すると、さきがけへの事前通告を行わないまま一方的に統一会派から離脱して、日本新党議員のみで新会派「改革」を結成した。
与党統一会派となることを目指し、与党各党だけでなく自民党離党予備軍に対しても参加を呼び掛けたが、事前の根回しが無いまま会派結成が行われたことで、元々与党統一会派に慎重だった社会・さきがけ両党が猛反発して連立与党内の亀裂を拡大させた。
日本新党内でも38議員中15名が新会派への参加署名を拒否するなど突然の新会派結成には批判的な声が強かったため、新会派への参加呼びかけは中止することとなったが、細川は統一会派構想を撤回せず、さきがけとの関係修復も拒否したため、まもなく3議員が離党してグループ青雲を結成。残留した議員の中にも細川に批判的な者が少なくなく、党の分裂が進んだ。
その後も裏では新生党などとの統一会派構想が進んでおり、約半月後に羽田孜が首班指名を受けた直後に新生・民社・自由・改革の会の各党派と共に統一会派「改新」を結成したため、会派「改革」は短期間で消滅した。
★会派
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1994/04/08: 40: *会派結成
1994/04/19: 37: 3名が退会=グループ青雲を結成
1994/04/25: --: *会派解散
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*会派には日本新党38名の他に社民連の2名(江田五月・阿部昭吾)も参加している。
社民連はまだ正式には解党されていなかったが、既に日本新党への合流を内定しており、この2名は実質的には日本新党議員として活動していた。
菅直人も"さきがけ日本新党"に所属していたが、さきがけ系だったため改革には参加していない。
もう1人の楢崎弥之助は総選挙直後から社会党会派に所属しているため、今回の分裂騒動とは無関係だった。
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