みんしゅしんとうくらぶ
(民主新党ク)
1994/09/28~1996/01/16 *衆議院会派

[政党・会派] [政党・会派一覧(記事リスト)]
★概要 1994秋に日本新党の一部議員が結成した衆議院会派。 細川/羽田両内閣を構成していた旧連立グループは新党結成に向けて新党準備会を結成し、衆議院では統一会派「改革」を結成することを決定したものの、日本新党内では小沢一郎主導の新新党構想に不満を抱く者も少なくなく、海江田万里ら4名の衆議院議員は新党準備会や統一会派への参加を拒否して独自の衆議院会派を結成した。 当初は「日本新党クラブ」の名称を予定していたものの、日本新党からの抗議を受けて会派名は「民主新党クラブ」となった。 事前には(旧)社民連の楢崎弥之助も参加すると発表されていたが、直前になって基本路線の違いを理由に不参加となり、参加者は日本新党議員のみとなった。 日本新党議員4名は離党しないままの会派結成だったが、日本新党が参加していた統一会派の「改新」が解散され、大統一会派として「改革」が結成されるタイミングで新会派を結成しているため、日本新党は海江田らの離脱を止めることが出来なかった。海江田らはその後も党籍を残していたものの、10月の党大会にも出席せず、以後は完全に党とは別行動を取っている。 自民党にも旧連立グループにも与しない第三勢力結集を目指し、旧連立グループだけでなく与党の社会・さきがけ両党内の不満分子などに参加を呼びかけたが、社会党派閥の新民主連合の一部の他には、ほとんど賛同者は現れなかった。 新進党結党の直前には、不参加者の受け皿となることを狙って「民主新党」の結成を表明したものの、参加希望者は大矢卓史(日本新)のみに留まった。大矢の参加で議員数が5名となったことで、新党を結成すれば政党要件を満たせることにはなったが、新党構想が全く支持を得られなかったことから党内でも今後の方針を巡って意見が分かれ、新党結成は先送りとなった。しかし、石井紘基が独自に新進党不参加議員との連携を模索し、まもなく離党して柿沢弘治らと共に自由連合を結成したため議員数が4名となり、単独では政党要件を満たした政党の結成が不可能になった。 海江田代表は新民連との連携での生き残りを図り、1995初頭に新民連の山花貞夫代表らと共に民主リベラル新党準備会の結成を呼び掛けたものの、遠藤利明はこれに同調せずに離党している。 民主新党クが連立グループの小沢支配を批判して結成された一方で、山花ら新民連幹部が新進党に近い関係にあったことから、海江田は新進党色を弱めるために新進党と距離を採っているメンバーの多数の参加を望んでいたものの、新民連内には山花の独裁手法に批判的な者も少なくなく、新進党に近い議員にも反新進色を打ち出すことで選挙協力への悪影響を懸念する声が強かった。さらに、海江田は社会党丸ごとの合流は望んでいなかったため、新党準備会に参加する社会党議員には早期の離党を要求していたものの、社会党の大分裂を望まず、早期の社会党離党&新党結成に慎重な意見も強く、新民連はまとまる気配を見せなかった。 しかし、1995参院選前の新党結成を目指していた山花は強引な多数派工作を行い、支持労組も系列議員に圧力をかけたことで、約半数の新民連議員が新党準備会に参加することとなったものの、山花に批判的なメンバ-が態度を硬化させたため、新民連は分裂状態となった。また、新民連以外からの参加も数名に留まっている。 新党準備会は国会で独自会派を結成することを決め、社会党議員は会派離脱届と同時に離党届を提出することになったものの、早期離党に反対していた議員に配慮して、社会党による慰留や離党手続きにより正式な離党には時間が掛かることを理由に、当面は社会党の党籍を残すことで合意している。 統一会派の名称は両者の名を残して「民主連合・民主新党クラブ」(衆議院)となり、参議院でも同様の会派結成が予定されていたが、参議院には民主新党クの議員がおらず、民改連の議員が参加する予定だったが、民改連の了承を得るの手間取ったため、この時点では統一会派の名称がまだ決定していなかった。 しかし、新会派結成当日の朝に阪神大震災が発生したため、会派離脱届は提出されたものの、政権与党の社会党は震災対応を理由に会派離脱への回答を保留し、山花も予定していた離党届の提出を取り止めたことで、休戦状態となった。 震災被害が大きかったため休戦は長引き、その間に新民連内では山花への批判が強まり、また新党結成を支持していた労組の態度が一変したこともあって新党構想は熱を失い、会派結成届は撤回され、新党準備会も4月末に解散されている。 新党準備会の失敗で、山花は新民連の新党準備会不参加者だけでなく参加者からも幻滅されて党内に居場所を失い、まもなく社会党を離党したため、提携先を失った海江田は、独自に東京に地域政党を結成したり、横路孝弘やさきがけの鳩山由紀夫や菅直人と接触するなど、新たな第三極新党を模索したが、大きな流れを生むこと無く存在感を失った。 1995年末に、社会党を離党した山花らが結成していた民主の会と合同して新党「市民リーグ」を結成するために解散した。 この際、大矢卓史は市民リーグに参加せずに独自の行動を採っており、市民リーグへの参加者は民主新党ク結成時の5議員のうち海江田と牧野の2名だけだった。 また、民主の会からも7名中3名しか市民リーグに参加していない。
★役員 ------------------------------ 代表: 海江田 万里 ------------------------------
★会派 衆議院のみ ------------------------------------------------ 1994/09/28: 4 : 衆議院会派結成 1994/12/09: 5 : 大矢卓史が入会 1995/01/09: 4 : 石井紘基が退会 1995/01/19: 3 : 遠藤利明が退会 1996/01/16: -- : 会派解散 ------------------------------------------------
★所属議員 その後 1996総選挙 ---------------------------------------------------------------------------------------------------- 石井 紘基 東京03 # 結成に参加、1995/01/09自由連合へ移籍 →さき→民主 ●民主 遠藤 利明 山形01 # 結成に参加、1995/01/19自民党へ移籍 ●自民 海江田 万里 東京01 # 結成に参加 →市民リ→民主 ●民主 牧野 聖修 静岡01 # 結成に参加 →市民リ→民主 ×民主 大矢 卓史 大阪01 # 1994/12/09入会 →無所属ク→*死去 ------ ---------------------------------------------------------------------------------------------------- *全員が日本新党出身だが、離党届を提出しないまま会派結成に参加している 石井と海江田は12月の日本新党解党間際に離党届を提出しているが、他は不明