みんしゃとう・みんしゅれんごう
1986/07/22~1990/01/24 *衆議院会派

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★概略 1986総選挙後に民社党が社民連議員2名と共に結成した衆議院での院内会派。 民社党は総選挙での当選者数が共産党(推薦議員含む)を下回ったため、予算委員会や議運委員会で1名確保していた理事ポストを共産党に明け渡すことが確実となったが、共産党との差が1議席だったため、理事ポストの維持を目的に4議席の社民連に統一会派結成を呼びかけた。 社民連は以前に民社党との統一会派結成が菅直人の猛反対で白紙になった経緯もあり、今回も民社党の要請を断ることになったものの、社会党も総選挙で惨敗していたこともあって、以前からの持論である社会・民社両党の歴史的和解のチャンスと見て、社会党も加えた3党による統一会派結成を逆に呼びかけたが、この提案は社会・民社両党からは全く相手にされず、社民連が社会・民社・公明各党の各会派に所属議員を別々に所属させて野党間を取り持とうとのアイデアも党内外の調整が出来ないまま時間切れとなり、民社・社民連両党はそれぞれ独自会派を届け出ることとなった。 しかし、社民連内には今こそ野党結集のための行動を起こすべきとの意見や民社党を見捨てることへの批判が根強かったため、特別国会召集当日になって衆議院の社会・民社両党会派に社民連の衆議院議員を2名ずつを所属させる変則的な統一会派結成を発表。これに伴い、衆議院の民社党会派「民社党・国民連合」は、「民社党・民主連合」へと改称した。 統一会派結成に当たっては、社会・民社・社民連の3党が野党結集に関する定期協議を行うことで合意したと社民連は発表していたが、社会・民社両党はこの合意を否定しており、その後も定期協議が行われることはなかった。また、社民連議員は両会派で会派拘束を受けずに自由な活動が許されていたものの、社会・民社両党で方針が異なる場合は社民連の方針と一致しない会派に所属する議員は国会投票で棄権することで両党に配慮したため、社民連内には党の自主性や存在感が失われているとの批判が起きることとなった。一方で、民社党は社民連2名の加入で会派人数が共産党会派を上回ったこともあって、楢崎弥之助に予算委員会での質問の機会を与えるなどの厚遇を与えている。また、党外でも民社党はミニ政党として不遇になりがちな社民連を擁護することがあった。社会党会派に所属した社民連議員も同様にミニ会派では不可能なメリットがあったため、社民連は党内の反対を抑え、統一会派を再検討するとしていた通常国会終了後にも統一会派の継続を決定している。 しかし、社民連の当初の目標であった社会・民社両党の和解は、消費税法案を巡る両党の対立や1989参院選での社会党の一人勝ちに反発した民社党が独自性を打ち出すようになったことで停滞した。また、民社党にも社民連が次第に社会党に接近していることへの不満が起こっていたが、両党共に統一会派のメリットや形だけでも野党結集を示すことを優先させたため、1990年の衆議院解散まで統一会派は継続された。 1990総選挙後、民社党は党内の反対を抑えて再び社民連に統一会派結成を求めたものの、社民連では惨敗した民社党と組んでもメリットが無いとの声が強まり、統一会派を拒否して独自会派を結成することとなったため、民社党も独自会派を単独で結成し、統一会派は4年弱で消滅した。
★会派@衆議院 ------------------------------------------------------------------------------------------ 1986/07/22: 28 : 「民社党・国民連合」から改称、民社26+社民連2 1986/10/08: 29 : 大矢卓史(民社)が繰上当選 1989/05/02: 28 : 春日一幸(民社)が死去 1990/01/24: 28 : *衆議院解散 ------------------------------------------------------------------------------------------ *参議院では民社党と社民連の統一会派は結成されなかった *1990総選挙後には両党はそれぞれ独自会派を結成している
★非民社党議員@衆議院 -------------------------------------------------------------------------------------------------------- 阿部 昭吾 社民連・書記長 楢崎 弥之助 社民連・国対委員長 -------------------------------------------------------------------------------------------------------- *改称前の会派名は「民社党・国民連合」だが、非民社党議員はいなかった 以前に民社党会派に無所属議員が参加していた時期があったが、無所属議員がいなくなっても民社党は会派名の「・国民連合」の部分を残していた *阿部と楢崎は過去に社会党を除名されている経緯から民社党会派に参加したのだと思われる