にほんしゃかいとう・ごけんみんしゅれんごう (社会) 1992/10/29改称~1996/01/22改称 *国会会派
[政党・会派] [政党・会派一覧(記事リスト)] [日本社会党] [社会党系諸派]★概略 1992年に日本社会党と社会民主連合(と無所属議員)が衆参両院で結成した統一会派。 社会党は土井委員長の下で1987統一地方選/1989参院選/1990総選挙の3大選挙で大きく議席を伸ばしたものの、ブームが終わると以前に逆戻りして支持が低迷した。このため、後継となった田辺委員長は労組の連合の誕生を背景として社民勢力の総結集による支持回復を目指し、その実現のために民社党・社民連・連合参議院の各党派に対して統一会派の結成を呼びかけた。 しかし、民社党は田辺が左派に配慮しすぎていることを批判しており、交渉でも社会党が路線変更を明確に示せなかったことや党勢低迷で社会党に吸収されるのではないかとの警戒から統一会派を拒否した。また、連合参議院は連合の意向もあって社会党と民社党のどちらか一方だけに組みすることを良しとしなかったため民社党が参加しない統一会派に参加する意思はなく、4党派の統一会派結成は絶望的となった。 一方で社民連は以前から自身が同様の呼びかけを各党に対して行っていたことに加え、PKO法案で同調するなど社会党への傾斜を強めていたため統一会派結成を了承。社会党としても他に組む相手がいなくなった事から、1992参院選を前に社民勢力結集を形だけでも実現するため、選挙前の段階で、選挙後に社会・社民連の2党のみで統一会派を結成することで合意した。 1992参院選の結果を見た上で、選挙後には民社党と連合参議院に加えて日本新党などにも統一会派への参加を呼びかけることが検討されていたが、社会党・社民連・連合の会がいずれも参院選で惨敗したことで社会党と社民連の統一会派結成自体が流動化。社会党では社民連の田英夫が東京選挙区で社会党が推薦した連合候補を支援せずに対立候補を支援したことを問題視して会派からの除籍を求める声が上がり、社民連でも参院選敗北の原因を社会党の左傾化に求める意見や社会党への吸収を危惧する意見が強まったため、統一会派結成は一旦棚上げにされた。 しかし、参院選の敗北後に党内での支持が急速に失われている中で江田社民連代表らに近い若手議員の支持を得たい田辺社会党委員長と、既にジリ貧となっている社民連に限界を感じて社会党内部への潜り込みを模索する江田社民連代表の思惑から、両党幹部は党内の反対を抑えて統一会派結成を強行。 1992秋に衆参両院で社会党会派を改称する形で「日本社会党・護憲民主連合」を結成した。 両党はできる限り統一行動を採るよう申し合わせた一方で、意見が一致しない場合は独自の行動を容認していたが、実際には社民連が採決を棄権することで社会党に配慮している。 統一会派結成の条件として特に社民連が強く要求していたのが両党議員による政策研究会の容認で、江田と菅直人は統一会派結成直後に社会党・社民連・連合参議院の若手議員による政策研究集団「シリウス」を結成して、社会党と一体化した政治活動へと軸足を移したが、社民連では、社会党離党者や市民派が多い地方で社会党への事実上の吸収に批判的な声が強く、離党者が続出して組織の解体が進んだ。 一方、社会党では、右派が会派除名を要求していた田が左派が強い参議院側の要求で会派残留となったことに加え、党員ではない江田がシリウスを通じて社会党内部に干渉していることに右派派閥の政構研や水曜会などから批判的な声が上がっており、自身の出身派閥すらまとめられない田辺の指導力を疑問視する声が右派からも強まった。 1992末の衆議院の定数是正の国会採決では、社会党は政府案への反対を党議決定したものの、右派には違憲状態の解消を優先すべきとの意見も強く、数名が造反。社民連も賛成を主張していたが、採決を棄権することで社会党に配慮している。 1993初に社会党委員長が山花に代わると、社会党内からシリウスに対する批判が続出。江田が公然と社会党の分裂を主張したり、菅が社会党離党者を支援するなど、社会党執行部としても看過できない事態も起きたことで、社会党が社民連に抗議することがあり、社民連でも江田の言動に強い批判があったが、統一会派のメリットを守るために両党共に統一会派を維持した。 1993総選挙後にも統一会派を継続したものの、既に社民連は崩壊状態にあり、菅が統一会派に加わらずにさきがけ日本新党に参加。1994年に入ると、社民連が日本新党への吸収合併を内定したことで衆議院の江田と阿部が退会して日本新党会派に移籍し、直後には参議院の田が政治改革法案での造反で会派を離脱した。 この結果、会派に残留した(元)社民連議員は衆議院の楢崎のみとなったものの、衆参両院で「~・護憲民主連合」の会派名は継続して使用され続けた。1994秋には楢崎も会派を離脱しているが、会派名はそのまま残された。 1996年に日本社会党が社会民主党へと党名を変更する際に、会派名は衆参共に「社会民主党・護憲連合」へと変更された。★会派 ◇衆議院 -------------------------------------------------------------------------------------------------------- 1992/10/29改称~1996/01/22改称: --------------------------------------------------------------------------------------------------------◇参議院 -------------------------------------------------------------------------------------------------------- 1992/10/29改称~1996/01/22改称: -------------------------------------------------------------------------------------------------------- *改称前の会派名は衆参共に「日本社会党・護憲共同」 *改称後の会派名は衆参共に「社会民主党・護憲連合」★非社会党員議員と無所属当選議員 ◇衆議院 -------------------------------------------------------------------------------------------------------- 堀 昌雄 1992/10/29改称~1993/06/18衆解: 党員だが定年制に抵触するため推薦候補として出馬 鉢呂 吉雄 1992/10/29改称~1993/06/18衆解: 推薦候補 外口 玉子 1992/10/29改称~1993/06/18衆解: 推薦候補 吉岡 賢治 1992/10/29改称~1993/06/18衆解: 党員だが連合候補となるため無所属で出馬 岡崎 宏美 1992/10/29改称~1993/06/18衆解: 党員だが造反出馬のため無所属で出馬 楢崎 弥之助 1992/10/29入会~1993/06/18衆解: 社民連 阿部 昭吾 1992/10/29入会~1993/06/18衆解: 社民連 菅 直人 1992/10/29入会~1993/06/18衆解: 社民連 江田 五月 1992/10/29入会~1993/06/18衆解: 社民連 -------------------------------------------------------------------------------------------------------- 吉岡 賢治 1993/--/--結成~1995/05/23退会: 推薦候補 金田 誠一 1993/--/--結成~1995/02/03除籍: 推薦候補 永井 哲男 1993/--/--結成~1996/01/22改称: 推薦候補 横光 克彦 1993/--/--結成~1996/01/22改称: 推薦候補 楢崎 弥之助 1993/--/--結成~1994/09/29退会: 社民連 阿部 昭吾 1993/--/--結成~1994/01/31退会: 社民連 江田 五月 1993/--/--結成~1994/01/31退会: 社民連 -------------------------------------------------------------------------------------------------------- *1993年の会派結成は選挙直後に行われている、正確な日付は未調査 *以前から党員だが諸事情で無所属で出馬した候補もいた *推薦候補の中には後に入党した者もいるが時期は不明 *菅は1993総選挙後も社民連の党籍を残していたものの、社会党との統一会派に加わらずにさきがけ日本新党会派に参加した *社民連の解党が内定した後、江田と阿部は退会してさきがけ日本新党会派に参加したが、楢崎は会派に残留している *楢崎は日本新党の海江田万里らとの統一会派結成のために会派を離脱したが、最終的に新会派には参加しなかった *吉岡は兵庫県本部の新党運動に同調して他の議員と集団離党 *金田は北海道知事選での造反で会派除籍◇参議院 -------------------------------------------------------------------------------------------------------- 岩本 久人 1992/10/29改称~1996/01/22改称: 推薦候補 竹村 泰子 1992/10/29改称~1996/01/22改称: 推薦候補 田 英夫 1992/10/29改称~1994/02/03除籍: 社民連 三上 隆雄 1992/10/29改称~1996/01/22改称: 推薦候補 吉田 達男 1992/10/29改称~1996/01/22改称: 推薦候補 中尾 則幸 1992/10/29改称~1995/01/27除籍: 推薦候補 栗原 君子 1992/10/29改称~1996/01/18退会: 党員だが造反出馬のため無所属で出馬 -------------------------------------------------------------------------------------------------------- 照屋 寛徳 1995/08/01入会~1996/01/22改称: 推薦候補 -------------------------------------------------------------------------------------------------------- *比例区選出議員に非党員議員がいるかもしれないが不詳 *以前から党員だが諸事情で無所属で出馬した候補もいた *推薦候補の中には後に入党した者もいるが時期は不明 *田は社民連議員だが、既に1989参院選後に社会党会派に入会していた、ただしこの時の会派名は「日本社会党・護憲共同」、1992参院選東京選挙区で連合候補ではなく別候補を支援したため、社会党は選挙後に会派除籍を検討したが、左派系が強い参議院の意向や社民連への配慮から会派に残留させている *社民連の解党が内定した後、田は離党したものの会派に残留したが、直後に政治改革法案での造反で会派離脱 *中尾は政治改革法案での造反で会派離脱 *栗原は離党して新社会党の結成に参加
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