[政党・会派] [政党・会派一覧(記事リスト)]
★概要
1948年に民主党を離党した6議員が結成した保守政党結成のための準備会。
民主党首班の芦田内閣は公務員給与引き上げのための財源を必要としており、その一つとして社会党が強く要求していた戦時公債の利払いの一時停止を決めたものの、経済界だけでなく民主党内にも批判的な声が強く、小沢専七郎ら民主党の6議員は社会党に配慮した政権運営を批判して健全な保守政党結成を目指すとして離党し、「日本国民党結成準備会」を結成した。
脱党誓約書に署名した議員は8名だったものの、執行部の慰留や支持者の反対により2名が脱落して6名で結成されている。
結成の直前には民自党が反社会主義の国民戦線の結成を呼び掛けており、民主党反主流派が民自党有志らと共に保守合同を目指す保守統一懇談会を結成した際には、小沢らにも参加が呼び掛けられていたが、これに参加せずに離党し、春の民自党結成に参加しなかった自由党議員が結成していた日本自由党(1948)と提携して統一懇談会とは別に保守統一を目指すこととなった。
民自党と民主党の仲を取り持つことで影響力を得ようとしたともいわれており、さらに10人程度の参加を見込んでいたが、後追い参加はなかった。
まもなく、日本自由党(1948)と合同して、自由主義と反共主義を標榜する新党結成のためとして「新自由党結成準備会」を結成した。
しかし、国民党系と自由党系は保守合同への態度が異なっており、民主党離党者が結成した国民党は民自党との合同に、民自党不参加者が結成した自由党は民主党と国協党とでの新党結成を目指していた中道政治連盟に、それぞれ好意的だったため、新自由党としての態度が定まらなかった。
さらに、国民党議員は小沢の潤沢な政治資金に期待して離党したともいわれているが、小沢が昭和電工事件に絡んで次回総選挙への出馬を断念したことで求心力を低下させ、宇都宮則綱が民主党に復帰し、鈴木弥五郎も総選挙への出馬を断念したため、1949総選挙で新自由党から出馬した国民党系の現職は3名だけとなり、当選者は寺本斎のみの留まった。その寺本も選挙後には民主党に復党している。
★役員
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代表: 小沢 専七郎
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★衆議院会派
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1948/06/17: 6 : *会派結成
1948/10/04: -- : *会派解散
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★議員
1949総選挙 1952総選挙
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宇都宮 則綱 大分02 ×民主 -------
小沢 専七郎 福島03 --------- -------
久保 猛夫 長崎01 ×新自由 -------
鈴木 弥五郎 秋田02 --------- -------
寺本 斎 熊本01 ○新自由 ×自由
長谷川 俊一 岐阜02 ×新自由 -------
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*小林運美と岡野繁蔵も参加するとされていたが、最終的に取り止めている
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