[政党・会派] [政党・会派一覧(記事リスト)]
★概要
1978京都府知事選で社会・公明・民社の3党が革新中道統一候補を擁立するために結成した京都府の地方政党。
京都府では社共推薦の蜷川虎三府知事が長期政権を担っていたものの、社会党と蜷川府知事の関係が悪化しており、社会党は中央でも共産党との革新連合から公明・民社両党との革新中道連合へと軸足を移し始めていたため、蜷川府知事が高齢で引退となる府知事選で公明党と共同で候補者を擁立することで合意。さらに民社党府委員会や京都同盟も参加して社公民の共闘組織として「革新京都をつくる府民連合」を結成した。
統一候補には社会党衆議院議員で以前に蜷川府政の副知事を勤めていた際には後継者候補にも挙げられていた山田芳治が選ばれたことで、共産党は社公民体制を批判して独自候補擁立を目指す一方で山田への相乗りの可能性も模索していたものの、蜷川府知事が独断で杉村敏正を後継者に指名したため、共産党も杉村を推薦することとなり、革新勢力は分裂選挙となった。このため、京都地評も社共いずれにも付けずに自主投票となっている。
一方で民社党は蜷川府政に批判的で前回までの数回の府知事選で続けて自民系候補を推していたこともあって山田を推すことに批判的な声があり、社会党が民社党の回答を待たずに山田擁立を表明したことも問題視されていたものの、党府委員会や京都同盟の強い意向を踏まえて党中央は"支持"の形で山田を支援した。
しかし、蜷川府知事の高い人気によって革新票を杉村に奪われる一方で、社公民の足並みの乱れから中道票の一部が自民系の林田悠紀夫に流れた結果、選挙戦は林田と杉村の闘いになり、山田は次点となった杉村の半分にも満たない得票で惨敗した。
府知事選の2週間後には林田の参議院議員辞職に伴う補欠選挙が行われ、府民連合は榊田博を公認候補として擁立したものの、民社党は榊田を推薦せず共闘体制が崩壊しており、府知事選と同様に自民党と共産党に惨敗を喫している。
その後の動静は不明。
★選挙
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1978参・京都補選: 0/ 1 : 榊田 博
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