[政党・会派] [政党・会派一覧(一括版)]
新進党岩手県議会会派━━県民会議━┳━→ ┏地域政党いわて━→
┃ ┃
┗政和会━━岩手政和会━━┳…………………………╋ゆうあいクラブ━→
┣政和・社民クラブ━━┫
社会民主党━━┻…………………………┻━→
★概要
1998年に旧新進党会派を離脱した一派が結成した岩手県の県議会会派。結成時の名称は「政和会」だった。
1997末の新進党解党後、新進系の県議会会派は分裂を回避して自由公明友愛県民会議へと名称を変更した。しかし保守系議員には小沢一郎の純化路線に反発する者も多く、自由党岩手県連が活動を開始すると独立の動きを強めた。
最終的に県民会議22名のうち7名が離脱。これに別の旧新進系会派の清和会(4名)が合流し、計11名で新会派の「政和会」を結成。このうち1名は民社系だったが民主党への参加を拒否して政和会に参加している。
結成にあたっては、増田県知事の県政与党の立場を唱え、国政政党とは一線を画する県民党としての存在をアピールした。
政和会の結成に伴う県議会会派再編により、県民会議と自民が同数の第一会派となったことで、政和会は県議会でのキャスティングボードを握る存在となった。
自由党とは会派が別れたとはいえ喧嘩別れしたわけでもない一方で自民党とは距離を取っていたため、県議会内で多数派を握りたい自由党から統一グループ結成を呼びかけられるが、自由党に接近しすぎることへの警戒が強く、政策協議を行うことで友好関係を保つこととなった。
1998参院選では自由党と共に無所属の会の椎名素夫を支援し、共闘体制で自民候補を破った。
1999知事選では共産以外の各党と共に増田県知事を推薦して、再選後も県政与党の立場を採った。同時に行われた県議選では現職10名が無所属で出馬したが2名が落選。当選者のうち2名は自民の推薦を受けていたため、純粋な政和会系当選者は6名だったが、選挙後には他に4名が参加し、計10名で会派を再結成した。県議選後も自民と自由が同数だったが、今度は自民に接近し、正副議長選で自民と共闘することで副議長ポストを獲得した。
2000総選挙でも自民寄りの立場を採ったが、結果は自由党が3勝1敗で勝利した。
2003県議選では9名が無所属で出馬。自民・自由両党からの選挙協力の申し入れがあったが、会派として断っている。選挙の結果、2名が落選したため選挙後は7名で会派を再結成。自由党が大勝したことで自民党との提携を解消し、第三勢力の立場へと転換した。、
2003総選挙前に自由党が民主党に合流すると、連合岩手の支援を受ける議員の一部は次第に民主へと流れ、2005年には交渉団体会派要件(5名)を下回る4議席への転落が確実となったため、会派要件維持のため、社民党(2名)と統一会派「政和・社民クラブ」を結成した。
2007知事選が近づくと、政和会は増田県知事の続投を求めるも増田は不出馬を表明。自由党は当初から増田不支持で対立候補擁立を予定していたため、政和会としては自由系候補には乗れず、自民系候補は前年の滝沢村長選で対立した候補だったことから、誰も支持できず自主投票。政和会は国政政党とは距離を置く県民党を標榜していたため、存在意義が問われることとなった。
このため2007県議選に際し、地方政党としての再出発を目的として政治団体「岩手政和会」を結成。県議選で4名を公認して全員が当選し、選挙後には無所属で当選した2名を加え、社民党3名と併せて9名で統一会派を再結成した。
2009年に国政で民主党政権が成立すると、国政の混乱は地方へと波及し、地方政党が注目を浴びた。
しかし政和会は内部に民主系議員を抱えていたことや政策的に違いがある社民と統一会派を組んでいたことなどから、保守系に純化した形での地方政党結成を目指す声が高まった。このため民主系2名を除く4名で「地域政党いわて」を結成。これに伴い岩手政和会は解散され、社民との統一会派も解消された。
統一会派解消後、民主系2名は「ゆうあいクラブ」を結成したが、まもなく民主党と統一会派を結成。
その後1名は民主党へと入党。残る1名は次回県議選で引退したが、後継者は民主党から出馬している。
★役員
代表
1998: 瀬川 滋
2001: 長谷川 忠久
2003: 吉田 洋治
2005: 田村 誠
2005: 田村 誠 *政和・社民クラブ代表
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