たける

2001/06/21~2008/10/14解散

[政党・会派] [政党・会派一覧(一括版)]
★概要 民主党を除名された田中甲が2001年に結成した政党。 2001千葉県知事選で民主党は連合千葉や社民と共に若井康彦を推薦したが、田中は民主党の労組体質を批判して離党届を提出し、無党派を標榜する堂本暁子を支援した。 鳩山代表が説得して一旦は離党を保留したが、依然として堂本を支援していたことや連合の組織内候補の擁立禁止を離党届撤回の条件としたことから党内から強い批判を浴びた。 県知事選では堂本が勝利したが、民主党が条件を飲まないことがはっきりしたことで選挙後に離党を改めて表明。このため民主党を除名された。 離党後は非自民・反民主の立場で与野党を巻き込んだ政界再編を目指し、独自の政党として「尊命」を結成した。 結党には船橋市議の佐藤浩も参加しているが、事実上、田中の個人政党であり、田中の支持者などが党役員に名を連ねることはあったが、政党としての活動はほとんど確認できない。 田中は2003初には統一地方選に向けて、日本政策フロンティア(日本フロンティアの会)の趣旨に賛同する地方議員を集めて「千葉フロンティア」を結成。統一地方選での勢力拡大を狙ったが、佐藤が県議選に鞍替え出馬して落選するなど勢力を伸ばすことができなかった。 2003/08に山村健(民主除名)が入党したため、国会議員が2名となり衆議院で院内会派を結成。この会派は2003/09に「フロンティア」へと改称している。 山村もまた三重県知事選でフロンティアの会と共闘しており、田中と共にフロンティアの会を母体とした新党を念頭に置いていたと思われるが、大きな流れを生むこと無く、2003総選挙前には田中甲が田中真紀子に新党結成を呼び掛けたが拒否され、総選挙では山村が不出馬で田中甲が落選したため、国会議員がいなくなった。 その後は党としての活動は見られず、政治資金収支報告書でも収支ゼロが続いていたが、2008年に正式に解党した。 *少なからぬ資料で政党名が「政党・尊命」と表記されているが、届出政党名としては「尊命」が正しい 一部メディアでは「尊命」が政党名であることを示すために『政党「尊命」』や『政党・尊命』などと表記する例があったため、誤りが広まったのかもしれないが、wikipediaがこの表記のため、単にwikipediaをコピーした資料が誤っているだけかもしれない
★党役員 代表: 田中 甲
★選挙歴 2003総選挙: ×田中 甲 千葉05 *前職だった山村健は出馬せずに引退
★国会議員 田中 甲 1993初当選(さきがけ)→1996再選(民主)→2000再選(民主)、2003落選 山村 健 2000初当選(民主)(比例復活(三重05))、2003/08/08入党、2003引退
★理念  新世紀の幕開けは、20世紀の総括なくして、訪れることはあり得ない。 わが党は真の平和を実現し、21世紀に日本国民と世界の人々が、裕かな人生をおくることができるよう「尊命」と「自立」を掲げ、これを党の理念とする。  人を含めすべての生き物を育む地球全体の自然を命ととらえ、「政治とは命を守ること」と考える。よって、あらゆる分野で命を尊ぶという理念を反映させた政策を提言し、その実現を図る。  又、すべての国民が自尊心を保ち、生きがいのある生活をおくれるよう、個人・地域・国家の自立を促す施策を実行し、責任を果たすことや努力が報われる公平な社会と、憲法の理念を尊重した個人の自由と尊厳を守る国家の構築を目指す。 @田中甲の公式サイトより 昔のサイトから引用しているため、現サイトでも公開されているかどうか不明
・田中 甲公式ホームページ - こう!と決めたら田中 甲 ・*旧サイト *消滅 ・*旧々サイト *消滅