ろうのうぜんえいとう
1947/03/09~1947/09/--改称

[政党・会派] [政党・会派一覧(記事リスト)]
★概要 1947年に佐野学と風間丈吉を中心として結成された共産主義/社会主義政党。 佐野と風間は共に戦前の日本共産党の委員長だったが、検挙された後、1933年に獄中で共産党からの転向を声明。2名共に以後も社会主義を捨ててはいなかったが、小ブルジョア化したソ連を批判して日本の実情に即した現実路線へと転向し、天皇制をも認める立場を採った。 戦後、政治活動を再開すると、日本独自の一国社会主義を唱えて天皇制の下での大衆政党を目指し、2人と同様の共産党からの転向者を集めて「一国社会主義同盟」を、次いで「日本民主前衛同盟」を結成。この時点では戦後に復興された日本共産党への復党も検討されていたが、まもなく共産党が佐野らを裏切り者として糾弾し始めたため、復党を諦めて独自の政党結成へと向かい、1946夏の「労農前衛党準備会」を経て、1947春に佐野を中央委員長として「労農前衛党」を結成した。 暴力革命や独裁主義を否定し、民主主義を徹底しての社会主義国家建設を標榜していたが、1947春の各種選挙では多数の候補を擁立したものの惨敗。選挙後には病弱な佐野に代わって風間が中心となったが党勢は伸びず、秋に「日本労農党」へと改称した。 しかし、その後も支持は広がらず、労農党はまもなく消滅したと思われる。 以後、佐野は社会党右派中間派との関係を深め、彼らと共に日本政治研究所を設立して活動したが、1953年に死去している。 風間は日本政治研究所にも参加している一方で、鍋山貞親らと共に世界民主研究所を設立して総同盟に接近し、労働組合の民主化=反共路線を支援した。
★役員 ------------------------------ 中央委員長:  佐野 学 書記長  :  風間 丈吉 組織部長:   源五郎丸 芳晴 教育宣伝部長: 坂田 正次 農民部長:   佐野 博 労組部長:   竹内 文次 ------------------------------ *佐野の委員長辞任後は風間が後継となった
★選挙 ----------------------------------------- 1947衆: 0/ 7: ----------------------------------------- *1946総選挙では大分県で松本晋が「民主前衛同盟」から出馬しているが、前身の日本民主前衛同盟のことか?
★年表 ---------------------------------------------------------------------------------- 1945/11/--: 佐野が「一国社会主義同盟」の結成を表明 1946/02/27: 「日本民主前衛同盟」が結成 1946/08/--: 「労農前衛党準備会」が結成 1947/03/09: 「労農前衛党」が結成 1947/09/--: 「日本労農党」へと改称 ----------------------------------------------------------------------------------