にほんきょうさんとう(にほんのこえ)
(こえ派)
1964/12/02~1968/04/04改称

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★概要 1964年に日本共産党を除名された志賀義雄らが結成した共産主義政党。 部分的核実験停止条約を巡る中ソ対立の煽りを受け、日本共産党では親中派と親ソ派の内紛が発生した。 日共執行部は宮本顕治主導で中国の方針を支持して条約批准に反対する方針を採ったが、国会議員のうち親ソ派の志賀(衆)と鈴木市蔵(参)は賛成を主張しており、志賀が国会の本会議で造反して賛成票を投じたことを機に執行部は両者を除名した。 志賀と鈴木はとりあえず「日本のこえ同志会」を結成したものの、党除名自体を無効だと主張して党内親ソ派の巻き返しを期待していたが、執行部内で志賀を擁護していた中央委員の中野重治と神山茂夫も除名されてしまった。 この時点でも4名はなおも党除名を認めない立場を採っていたが、11月の日共党大会で4名の除名が正式に承認されたことを受けて、共産党内外に反宮本の共産勢力の結集を呼びかけ、「日本共産党(日本のこえ)」を結成した。 こえ派への同調者はほとんどいなかったが、ソ連はこえ派を支持しており、以後、長らく資金提供を行っていたと云われている。 1965参院選では、こえ派と同じく共産党離党者が結成していた社会主義革新運動(社革・内藤知周)や統一社会主義同盟(統社同・春日庄次郎)らと共同戦線を張り、神山が統一候補として東京選挙区に出馬したが落選。同じ選挙区に出馬した日共の野坂参三がトップ当選する一方で、神山は供託金没収点にすら届かない惨敗だった。同時期の東京都議選でも反宮本の統一候補を擁立したが惨敗している。 選挙後には反宮本勢力の合同が話し合われるが、元々基本理念に違いがあった上に、選挙で共闘の成果が出せなかったため交渉は難航。1966秋には春日庄次郎の統一有志会などとの合同で共産主義労働者党の結成が内定していたが、最終的に脱落して不参加となっている。 1967総選挙で志賀が落選すると志賀の影響力が低下して離党者が続出。1967秋には中野と神山も離党している。日共がソ連との関係を修復させつつあることで共産党の"正当性"も揺らいでいた。 このため、1968春に日ソ共産党の和解など国際的な共産主義運動の統一のためと称して党名から"日本共産党"の文字を外して「日本のこえ」と改称した。 党名から"共産党"の名を外すことで日共分派では無いことを示し、将来的な共産党復党を目論んでいたとの見方もあったが、日共からは依然として裏切り者として扱われた。 1968参院選では鈴木が不出馬となったことで国会の議席を失った。以後は国政選挙に候補を擁立することは無くなり、志賀も以後の総選挙には出馬していない。 ソ連から支援は続いていたが、日ソ共産党の和解が進むとソ連にとってもこえ派は邪魔な存在となっており、1977年に日ソ共産党の和解の推進のためとして、党名を「平和と社会主義」へ再変更。この時点で既に組織は崩壊状態にあり、解党すべきとする意見も根強かったが、鈴木が強く反対したため党を存続させた。 まもなく槌田謙治らが独立して「建設者同盟」を結成するなど勢力がジリ貧となる中で、1979年の日ソ共産党の和解により、ソ連が日共が日本を代表する唯一の共産主義政党であることを認め、過去も含めて志賀らへの支持を撤回したことからソ連の後ろ盾を失った。しかし、その後もソ連からは密かに援助を受けていたともいわれており、ソ連のアフガニスタン侵攻を支持するなどソ連寄りの態度を崩さなかった。 志賀が1989年に死去した後は石井信雄が後を継いだが、ほとんど話題にならない存在となった。さらに、1991年にソ連が崩壊すると存在意義をも失った。 その後、少なくとも1999年までは存続していたようだが動静は不詳。
★役員
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全国委員会議長: 志賀 義雄
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*結成時の志賀の肩書は全国委員会委員長
1980年に委員長を辞任した後、1981年に新設された議長に就任している
*志賀の死後は石井信雄が後継議長となった
石井は長らく党No.2の全国委員会幹事会代表幹事を務めていた
届出上の会計責任者には志賀の夫人(多恵子)が就任している

★選挙歴
全て落選
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1965参: 東京   定4:  35012   0.91%  神山 茂夫   新   
1967衆: 大阪06 定3:  38503  10.82%  志賀 義雄   前(6)
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★国会議員
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志賀 義雄   大阪06( 6) # 1967落選
鈴木 市蔵   62全国( 1) # 1968引退
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★年表
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1964/05/15: 志賀が衆議院で部分的核実験停止条約に賛成投票
1964/05/21: 日本共産党が志賀と鈴木を除名
1964/06/19: 日本共産党が志賀の夫人らを除名
1964/06/30: 志賀と鈴木が日本のこえ同志会を結成
1964/08/30: 日本共産党が中野と神山の党員権停止を発表
1964/10/01: 日本共産党が中野と神山を除名を発表
1964/12/02: 日本共産党(日本のこえ)を結成
1967/02/04: 一部が共産主義労働者党の結成に参加
1967/10/14: 中野と神山が離党表明
1968/04/04: 「日本のこえ」へと改称
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1977/02/--: 「平和と社会主義」へと改称
1977/07/--: 槌田謙治らが独立して「建設者同盟」を結成
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