[政党・会派] [政党・会派一覧(記事リスト)]
*自治省への届出は12/16
★概要
1976年に武藤富男を中心として結成されたキリスト教系政党。
武藤は戦前からのキリスト者ではあったものの、ナチスに傾倒して戦争に協力的な立場を採っていたが、戦後はこれを懺悔してキリスト教の伝道師となり、以後はキリスト教の伝道に尽くした。
しかし、晩年に到り、日本の政治の腐敗や世界の戦乱を嘆き、キリストへの信仰に基づいて政治浄化や世界平和を実現するためとして「日本キリスト党」を結成した。
党則・綱領の冒頭には議会制民主主義の立ってキリストの心を政治の場で実践することを目的とすると書かれているものの宗教色は弱く、愛と義を貴重とする外交や国民道徳を振興する施策を訴えていた。
武藤は戦後直後に賀川豊彦と共にキリスト新聞を創刊するなど、思想的にはキリスト教社会主義の流れを組んでいると思われ、実際、結党の際には支持者からキリスト教社会党を望む声もあったとされるが、武藤は、結党の目的が人々の良心を結集して政治を浄化することにあり、政策はその結果として示されるもので、社会主義に限定されるものでは無いとして"社会党"の名称を好まなかったという。
憲法上の政教分離に反するのではないかとの批判もあったものの、武藤はキリストの心を政界に届けるのが目的なので問題無いとしており、宗教政党として意識が薄かったものと思われる。
当初はまず地方議会に進出して基盤を固めてから国政に打って出ることを想定していたが、地方には同調するキリスト者がほとんどいなかったため、まず参議院に議席を得ることで支持者を納得させ、その後、地方での組織作りを行う逆コースを目指すこととなった。
1977参院選では武藤が全国区に出馬し、供託金没収を逃れたもの落選に終わった。一方で、この選挙では同じくキリスト教関係団体であるキリスト者政治連盟の支援を受けた松前達郎が日本社会党公認で出馬して当選している。
以後の活動は不明。
*武藤富男
1904: 静岡県生まれ
1927: 東京帝国大学法学部法律学科卒業
横浜地方裁判所に就職
1930: 洗礼を受けてキリスト者となる(日本基督教団)
1934: 満洲国司法部刑事科長
1943: 日本政府情報局第一部長
1945: 退官
1946: 公職追放
キリスト新聞を創刊
1948: 日本基督教団補教師
1962: 明治学院院長
1974: 明治学院院長退任
1976: 日本キリスト党を結成
1977: 参院選に出馬
1998: 死去
長男の武藤一羊はベ平連や共労党で活躍した新左翼の活動家
★役員
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執行委員長: 武藤 富男
書記長: 山崎 宗太郎
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★選挙
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1977参院選: 0/ 1: 107368 # *武藤富男@全国区
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【全文公開】 武藤富男「日本キリスト党(仮称)結成の提唱」 1976年【参院選特集】@キリスト新聞社
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