ごけんりべらるのかい
1994/02/28~1994/09/22改称 *参議院会派
1994/04/01~1994/10/07改称 *政治団体

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★概要 1994年に政治改革法案採決での造反で日本社会党を除名/会派除籍された田英夫らが結成した革新政党。 社会党は1993夏の政変で細川内閣の与党となって以降、政策を大きく転換させたものの、党内にはこれに納得しない者も多く、特に衆議院への小選挙区導入を含む政治改革法案に関しては強い反対があった。 総選挙前の年初の党大会では小選挙区比例代表並立制に反対を訴えていたため、反対派は自身の正当性を強く主張していたが、党執行部は細川内閣発足時に並立制を受け入れている上に、党委員長の山花貞夫が政治改革担当大臣に就任していたことで今更反対することはできず、党議を旗印とする反対派への対応に苦慮していた。 しかし、細川内閣は政治改革を最重要課題と位置付けて法案の成立を急いでいたため、社会党の党内事情に十分配慮できないまま、秋には法案を国会に上程したものの、国会採決では社会党議員の造反が続出。参議院で法案が否決されたことで反対派の勝利かと思われたが、連立与党は自民党との協議で修正案を取りまとめたため、法案の成立が確実となった。 このため、田ら造反した議員の一部は離党/会派離脱して参議院会派として「護憲リベラルの会」を結成した。 社会党議員は離党/除名の党内手続きに時間が掛かったため、とりあえず社会党会派を除籍された非党員の田英夫と国弘正雄とで参議院会派を結成し、その後、社会党の除名手続きが終わった3名が加わり、政党としても届出を行った。 社会党に残った護憲派と連携する一方で、自民党に対しても小沢一郎らが離党したことでリベラル色が強くなっているとして一定の評価を与えており、反小沢の立場から保革を問わず護憲リベラル系勢力と共闘した。 結党後まもなく行われた武蔵村山市長選では自民党と共闘して連立与党候補と対決し、細川首相退陣後の首班指名選挙では白票を投じているものの連立勢力の羽田首相には否定的で野党となることを表明している。さらに2ヶ月後の羽田首相退陣後の首班指名選挙では社会党の村山委員長に投票して以後は村山内閣に対しては与党の立場を採った。 村山首相が就任直後に自衛隊合憲を明言したことで社会党内で離党の動きが強まると、離党者の受け皿となる護憲リベラル勢力の結集による新党結成を表明。 しかし、社会党離党の動きは大きくならず、実質的に護憲リベラルの会のみで「新党・護憲リベラル」を結成。法律上は護憲リベラルの会が党名を変更する形を採っている。 公式な改称日は10/07だが、その前の09/22に新党結成が発表され、参議院会派名もこの日に改称されている。
★役員 ------------------------------- 代表: 田 英夫 -------------------------------
★議員 --------------------------------------------------------- 田 英夫 89東京 国弘 正雄 89比例 翫 正敏 89比例 三石 久江 89比例 西野 康雄 89兵庫 通称「旭堂小南陵」 ---------------------------------------------------------
★参議院会派 --------------------------------------------------------------------------------------------- 1994/02/28: 2: 田と国弘が参議院会派を結成 1994/04/19: 5: 社会党除名の3名(翫・三石・西野)が入会 1994/09/22: **: 会派名を「新党・護憲リベラル」へと改称 --------------------------------------------------------------------------------------------- *5議員はいずれも社会党会派所属時に政治改革法案で造反しているが、田と国弘は会派に所属していたが党員ではなかったため、造反直後に会派を除籍され、先行的に新会派を結成した。 他の3名は法案採決直後に社会党に離党届を提出しているものの、党内手続きの関係で会派からの離脱が認められず、その後、除名が正式決定した段階で社会党会派を除籍され、護憲リベラルの会派に入会した。